読みました。

料理が苦痛だ
本多 理恵子
2018-11-02


著者の本多理恵子さん、11月12日のセブンルールの番組にも出演されるようで楽しみにしています。
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さて、
「はじめに」をまず読んで「そうそう」とうなずきまくり。

「作り続ける料理や考え続ける料理は愛情の前に日常」
「料理が嫌いな人は決して料理が下手くそな人ではない」
「自分だけなら簡単だけど他の誰かがいると途端に料理が大変になる」

その通りです。
あと、本編に出てきた「健康の呪縛」が私にはある。
手作り、家庭料理は健康的みたいな。

「はじめに」を読むだけで共感してしまった。
コレを読んで共感した方、一読オススメします。


◇本書「はじめに」より一部抜粋

自分の役割があるというのも生きがいだ。
「今日のご飯は何?」「お弁当美味しかった」と言われれば報われた気持ちになる。
けれど、時折心の底から「もう作りたくない」と思う時がある。
料理は「愛情」。
本当にそうだろうか?
「作り続ける料理」「考えるづける献立」は愛情の前に「日常」だ。
それは常に頭から離れない毎日の仕事。
タイムカードを押しても終わらないし、同僚と愚痴を言って気晴らしすらできない。
当然希望を出しても配置転換も叶わず、ボーナスや有休もない。
料理とは愛情の前にたった一人で毎日直面している「日常」だ。
(中略)
どうしたら楽に作れるのか? どうしたら美味しく作れるのか?
嫌いなことに向き合うなら最小の手間で最大の成果を出したい。
自分のために考えて、そして気づいた。
「簡単・美味しい・おしゃれ」はとても大事。
だがその前に「作りたい気持ちになる」メンタルのセッティングが一番大事なのではないかと。
「料理嫌い」の苦痛を和らげるのは「簡単レシピ」でも「キッチン断捨離」でもなく、
「料理を作りたい気持ちになる」ことだ。
そして「作りたい気持ちになる」ために必要なことは、いったん料理から離れてみることだ。
料理が苦痛なら料理をやめよう。つまりそういう事だ。
(中略)
料理を作る事に苦痛を感じているなら、その治療法は「簡単レシピ」や「片付け術」などを処方するのでダメだ。
まずはそれを受け入れる心の余裕を作り出すこと。
そのためには苦痛を感じたら休むことだ。
「料理が嫌い」だからこそ気づく事・出来る事がある。
嫌いだからこそ割り切って付き合えるというものだ。
(中略)
まずは「料理が嫌い」で「苦痛に感じている」ことを認め「嫌なことはやらなくていい」を自ら許し、選択する勇気を持ってほしい。
その決断ができれば「結局作れなかった」自責の念や、「嫌々作ったから失敗した」という不条理な結果など、割に合わない苦痛がなくなる。